はじめに
こんにちは、三菱総研DCS データテクノロジー部の杉本です。
業務では主にUXデザイナーとして案件に携わっています。
UX(ユーザーエクスペリエンス)という言葉は皆さんも聞いたことがあるかと思うのですが、普段の業務で意識することは少ないのではないでしょうか。
UXではユーザー体験を設計する上での時間軸として、サービスに触れている時だけでなく、サービスに触れる前、サービスに触れた後の体験をデザインすることが重要になります。ユーザーがサービスを使う前に「どういうことができるのかな?」と体験を想像する(予期的)ところから、使っている最中(瞬間的)、使った後に「便利だったな、良かったな」と振り返る(エピソード的)、またそのサービスを通じて体験したこと全体を思い返す(累積的)、それら全ての時間軸をUXと捉えてデザインします。
システム開発のあるあるとして「とても良いモノが開発出来たのに、ユーザーに使ってもらえない」という経験はないでしょうか。
その原因はもしかすると、利用前にあたる「予期的UX」をデザインできていないことにあるかもしれません。人は新しいものを取り入れることに抵抗を感じるものです。
今回は、"使ってみようかな"とユーザーの心情を変化させることに着目した、行動変容をテーマにした研究での取組みをご紹介します。
行動変容とは
行動変容とは、文字通り「人の行動が変化する」ことで、ある物事に対して関心を持ち、望ましい行動を増やしていく(維持していく)変化を指します。
行動変容は下記の5ステージを段階的に踏むことが知られています。
行動変容の活用事例 ~乳がん検診の受診率向上~
行動変容に関する研究事例をご紹介します。
乳がん検診に関して、検診を受ける意図が「ある」または「ない」、がんへの脅威が「あり」または「なし」で対象者を分類し、それぞれに合わせたメッセージを記載したチラシを配布しました。その結果、チラシのメッセージを送り分けた対象者では、一律のチラシ配布した対象者より受診率が約3倍に増加しました。
<出展元>
https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2013/20130624_1
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjbm/21/2/21_1507/_article/-char/ja/#figures-tables-wrap
事例を通じて、各ステージにいる対象者の心情に合わせた効果的なアプローチ手法を取ることができれば、望ましい行動へ変化していくことが分かります。
研究の目的~UXデザイナーが取り組む意義~
行動変容は「行動を促すために、ユーザー体験をデザインする」という意味ではUXデザインのひとつであると捉え、様々なサービスや分野で活用頂けるよう、以下の観点を目標に取り組みました。
短期間での心理的な変化を測定する方法の確立
行動変容を促す場合、活用事例のように対象者が現在どのステージにいるかを把握し、そのステージに合わせた介入(取組み)を行うことが有効です。介入の結果を短期間で測定することができれば、低コストで行動変容を促すアプローチを試みることが可能になります。
ナッジを活用したアプローチ方法の実践
ナッジとは、行動科学の知見から、望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチのことです。経済的インセンティブや罰則といった手段を用いるのではなく、プロダクトを紹介するチラシを見直すといった、「人が意思決定する際の環境をデザインする」ことで行動の変化を促します。ナッジを活用したアプローチ方法を実践し、その効果を立証できれば、様々なサービスに応用可能です。
短期間で行動を阻害する要因の特定や行動変化に向けた細やかな心理的変化を測定し、望ましい行動をとれるように後押しするアプローチを提供できれば、「使ってみようかな」というユーザーの心情変化の第1歩を、幅広い分野・サービスに対して提供可能となります。
行動変容を促す心理的アプローチ手法及び心理状況の評価方法の検討
行動変容を促すための心理的アプローチ手法、及び効果を測定するための心理状況の評価方法を以下に規定しました。
心理的アプローチ手法
①簡易インタビューや他の行動変容研究結果等をもとに、行動変容の各ステージにおける阻害因子の仮説を立てる
②アンケートやインタビューを実施し、行動を阻害するものとして優位性が認められる因子(影響因子)を特定する
③影響因子に対する対策を立案する
④対策をもとにプロトタイプを作成する
⑤プロトタイプ使用前後で行動変容に向けた心理変化が発生しているかをインタビューやアンケートをもとに検証する
※影響因子を解消できない場合は③④⑤を繰り返す
心理状況の評価方法
・アンケートにて要因・因子に対して、「そう思う」~「まったくそう思わない」の6段階で
心理状況を定量的に評価する
・インタビューにてアンケートの6段階評価を共有しながら、「なぜそう思ったのか」という
理由部分の深掘りを行い、行動変容における心理状況を定性的に評価する
テーマ選定と活動期間
私たちは行動変容を促すための心理的アプローチ手法の題材として「健康診断の再検査受診率の向上」を選びました。
健康診断の再検査受診は特定項目以外の受診勧奨を行っていないため、自己判断になります。罰則といった手段をとらずに、再検査を受けやすい環境を作ることで受診率向上をはかり、健康的な生活に繋げたいという想いです。
弊社社員を対象に、医療分野の知識の照会先として人事部(医務室)と連携しつつ、2023年8月から約4か月間で調査~プロトタイプ作成~評価まで実施しました。
心理的アプローチ手法の実践
ここからは、先ほどご紹介した心理的アプローチ手法①~⑤の手順に沿って実践した結果をご紹介します。
①簡易インタビューや他の行動変容研究結果等をもとに、行動変容の各ステージにおける阻害因子の仮説を立てる
まずは研究立上げ前に、身の回りの方へ簡易的なインタビューを実施しました。その結果をもとに、健康診断の再検査への阻害要因/因子となりえる項目を洗い上げました。
②アンケートやインタビューを実施し、行動を阻害するものとして優位性が認められる因子(影響因子)を特定する
阻害要因/因子から、影響因子を絞るためのアンケートとインタビューを実施しました。健康診断で「要再検査」または「要精密検査」の結果を受け取った経験があり、かつ産業医から受診指示*を受けていない方を対象に、再検査受診群(A群:31人)と再検査未受診群(B群:16人)に分けて分析した結果がこちらです。
*受診指示を行う基準値
〔血 圧〕最高血圧160以上/最低血圧100以上
〔血 糖〕HbA1c:8.0以上
〔脂 質〕LDL:200以上/トリグリセライド:1000以上
〔肝機能〕GOT:200以上/GTP:200以上/γーGTP:300以上
〔心電図〕D判定(要受診判定)
B群は自身のスケジュール調整の手間や過去の経験から、受診しなくても大丈夫と感じている方が多いことが分かります。またインタビューで深堀してみると、行動変容のステージごとに再検査に対する心理状態の違いが明らかになりました。(インタビュー対象者 A群:5人、B群:16人)
今回は期間が短いこともあり、対象者を絞って、"関心期"の方が"準備期"にステージを進めてもらえるようなプロトタイプを作成することに決めました。
”関心期=再検査に行った方が良いと感じているが行動できていない”方々を”準備期=次回の健康診断は再検査に行こう”という気持ちに変化させることを目指します。
改めて、関心期の方に絞ってアンケート結果を分析した結果がこちらです。
B群の中でも無関心期、関心期の方で阻害要因が異なるため、先ほどの表とは異なり「手続きの分かりにくさ」「手続きが手間」のポイント差が大きくなりました。
③影響因子に対する対策を立案する
関心期から準備期に向けた心理変化を阻害している影響因子に対しメインとサブに分けて対応策を立案しました。
メイン要因:手続きの分かりにくさ、手続きが手間
サブ要因:時間がかかる、強制力・ペナルティが無い、過去からの経験・慣習からの判断、お金がかかる
④対策をもとにプロトタイプを作成する
立案した対応策をもとに、プロトタイプ「健診結果checker」を作成しました。
⑤プロトタイプ使用前後で行動変容に向けた心理変化が発生しているかをインタビューやアンケートをもとに検証する
プロトタイプ「健診結果checker」を利用することで、心理変化を阻害している影響因子が改善するかを確認するため、アンケートを実施しました。プロトタイプが実際にサービスとして提供された時の利用シーンや使い方がイメージしやすいように、ストーリーボードを作成して対象者へ配布しています。
対象者:B群(再検査を未受診)の16人(うち回答者13人)
配布方法:対象者へメールでプロトタイプ説明資料(ストーリーボード)とアンケートを配布
アンケート目的:プロトタイプの有益性を確認する、プロトタイプ利用後の影響因子の変化を確認する
アンケート結果
プロトタイプ「健診結果checker」の有益性について、B群(関心期)全員が好意的な回答であり、ターゲットユーザーに対し、効果的なプロトタイプが作成できていると判断しました。
メインとして挙げた「手続き」関連の因子は、全ての項目でプロトタイプ前よりもポイントが改善しました。
一方、サブ要因については「過去の経験・慣習からの判断」はポイントの改善が見られず、対策の練り直しが必要という結果になりました。
インタビュー結果
心理的変化やプロトタイプへの意見抽出のために、B群関心期の方5名にインタビューを実施しました。
プロトタイプによるプラスの効果としては「健康(病気)への関心の高まった」「再検査への導線が明確化になった」「情報の有益さ」「情報へのアクセスの手軽さ」が見られました。
一方で「近隣病院を探す手間」「やっぱり自覚症状を重視して行くかどうか判断する」「経済的負担がある」「過去の経験や慣習を優先してしまう」ことに対してアプローチ不足であることが判明しました。
また、健診結果checkerを紹介するチラシを健康診断の検査結果に同封する流れでストーリーボードを作成したことで、「健診結果に同封されていれば利用したい」という意見も多く、再検査や健康状態について考えているタイミングで健診結果checkerの存在を知らせることで、より「使ってみようかな」と感じて頂けることが分かりました。
解消できなかった因子に対し、③~⑤を繰り返す
解消できていない影響因子に対して再度対策を練りなおし、プロトタイプのブラッシュアップを行いました。
今回の研究では期間の関係で、ブラッシュアップしたプロトタイプに対してのアンケートやインタビューは実施していません。
まとめ
研究から得られた成果をまとめます。
心理的な変化の測定方法の確立
実施したアプローチ手法で、影響因子の解消に向けて一定の効果があったという結果から、以下手順は短期間で心理的な変化を測定可能であることが分かりました。
①簡易インタビューや他の行動変容研究結果等をもとに、行動変容の各ステージにおける阻害因子の仮説を立てる
②アンケートやインタビューを実施し、行動を阻害するものとして優位性が認められる因子(影響因子)を特定する
③影響因子に対する対策を立案する
④対策をもとにプロトタイプを作成する
⑤プロトタイプ使用前後で行動変容に向けた心理変化が発生しているかをインタビューやアンケートをもとに検証する
※影響因子を解消できない場合は③④⑤を繰り返す
ナッジを活用したアプローチ方法の実践
サービスを紹介するタイミングによる気持ちの変化については結果が得られたものの、プロトタイプのブラッシュアップ後の検証が期間の関係で実施できなかった影響で、アプリ表示情報やチラシのキャッチコピーの変更による効果の測定までには至りませんでした。
「ナッジを活用したアプローチ方法の実践」については、更なる検証が必要です。
ナッジに関しては、新たな発見もありました。
プロトタイプの検証時、再検査に対する心理的な変化を確認したところ、事前インタビューで再検査や自身の健康について質問されたことで内省し、再検査の重要性について考えるきっかけになったという声を頂きました。
アンケートでも心理的変化があった活動として、プロトタイプとインタビューが同率1位の結果になり、「話を聞く」という行為だけでも、行動変容を促すきっかけになることが判明しました。
おわりに
本記事ではユーザーの心情を変化させることに着目した、行動変容をテーマにした研究での取組みをご紹介しました。
行動を阻害する要因の特定や行動変化に向けた細やかな心理的変化を測定することで、サービスにおける提供価値の向上が見込まれます。
心理変化へのアプローチ手法を幅広く活用頂くことで、「使ってみようかな」というユーザーの心情変化の第1歩を、幅広い分野・サービスに対して提供して行けたら嬉しい限りです。
行動変容やUXについてなど、ご興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひお声掛けください。
最後までお読みいただきありがとうございました!